5月30日(土) 立ち直りの日。小錦の断髪式 


 一昨日、髪の毛を切ったことで則に怒鳴られて、何か張りつめていたものがプッツンしてしまって、昨日は心も身体も全く力が出なくて病院に行く以外はずっと寝ていた。勤めから帰ってきた則が色々と気を使ってくれてもそれに応えるだけの気力も出なかった。

 が、昨日の夜、義妹からの電話で、このままウジウジしていてはダメだと思った。私の方は明らかに回復に向かっているのだもの、義妹夫婦の方がよほど大変なのだもの。それから、元気になって仕事をしているときの私を思うイメージトレーニングをして何とか力を出すことができるようになった。

 今朝も則はよほどこの髪型が気に入らないらしくブツブツ言っていたが、軽く聞き流すことが出来た。そのくらい元気が出てきた。それで、今まで来たお見舞いの手紙にもやっと返事を書いた。

 則は義妹夫婦のお見舞いに行っている。則の周りは病人だらけで、可哀想だ。

 昼間、小錦の断髪式をテレビで見た。一つの区切りをつける儀式。こうして人は過去と決別するのだなあ。

 夕方、帰ってきた則と近所の駅で待ち合わせて外食。あまり飲まないのに則は酔っぱらった。やっぱり疲れているのだろう。何しろ3人分の重さが肩にかかっているのだもの。


則裕の記録

 最初に順さんが言っている、髪の毛云々だが、実は彼女の感覚はよく分かっていない。たぶん、病院でいろいろ話すうちに、髪の毛が抜けることが不可避的な事態だとの認識に立ってのことだろうと、そう思うのだが。それと、気に入らないと言うようなことはなく、少しからかったくらいに過ぎないのだけれども。ただ、もう少し最後に決めてやる・・・って発想があるのなら、大胆になっても良かったとは思う。

 さて、今日は殆ど一日を使って、埼玉県の妹の家とその旦那の入院先を回った。遠かった。具体的には、O病院の方が近いのだ。妹の方は、もうこれは症状を何度か聞いているので、そして今は鎮痛剤だけが回避の手段となっているので、なるべく事実だけを聞いて深入りしないように努めた。旦那の方は、結構元気だった。本人はあと1週間くらいで退院出来るのではないかと、割合と楽観的な見通しを述べていた。手術は火曜くらいではないかと予想していたが、土日なので、まだそこいら辺の決定は出ていない。

 妹のところの道中推理小説を読んでいたせいもあるかもしれないが、実は私は妹やその旦那の前で、ちょっとした犯人役を演じていたように思う。だいたい急遽土曜に行ったのは、この土曜が休校日で無いという事情が、最大の要素。日曜だって、問題はないのだが、それだと順さんも一緒に行かないのはおかしいから。それで、今日は順さんは学校があるのでゴメンとか、そろそろ順さんも学校から帰ってきた頃だとか・・・そいいう演技をしなければならなかった。勿論妹のところの現状は、その子どものことも含めて、かなり厳しいものがあるのだが、それにしてもこちらの弱みは見せずに行動するのは、悲しくもあり、また援助を拒絶しなければならない現状を思うと、順さんに申し訳ないとも思う。勿論、彼女も妹のところには知らせないことで、考えは一致しているのだけれども。(それに事情があって、見舞いも我が家にとっては結構な額を出すことも積極的に賛成をしてくれていた。感謝。)

 夕食に飲んだが、その量は焼酎の4号ビン半分。順さんが書いているので、酔っぱらったのだと思うが、彼女の判断はたぶん、わたしが帰りにケーキを買おうと言いだしたからだと思う。以前は飲んだあとに、結構食事などをしていたのだが、医者に脅かされてからはそうしたことは避けていたから。ただ、このケーキは、彼女が思うよりはもう少し計画的なものだった。ケーキそのものにそんなに魅力はなかったのだけれども、順さんがケーキを食べるかどうかが興味があったからだ。まだ脂っこいものは・・・と言って、ケーキには近づかなかったのだけれども、普通の生活に戻るためにはこうした点もクリアしておく必要があると思っていたからで、実際酔ったことは事実としても、酔ったあげくの行動ではない。4個買ったが、さすがに1個ずつ食べただけで、2個は余った。(コージーコーナーのケーキは結構大きかった。)

 ただ、順さんの、いい加減な生活をしている夫に対して、寛容でかつ指導的な教師生活そのものの目で私を見る姿は、それはそれで、彼女の順調な回復ぶりを示していることに間違いはない。