
「新情報時代と学校事務」(その7)
元全事研電算化検討委員会(今回担当:木村信哉) 最近的神戸市電脳事情
はじめに
阪神大震災の翌日,この震災の被害のすさまじさの一端を示す映像が,インターネットで全世界に発信された。この1日だけで国内外から約8千件の利用があったと聞く。
発信したのは,神戸市の広報課員で,地震直後,ビデオで記録しながら必死に歩いて出勤した時の映像である。煙突が倒れ,ビルが崩れ,一面火の海の長田区を撮影した箇所には,「なんちゅうことやっ,長田がっ,むちゃくちゃになっとるーっ」と,彼の絶叫も記録されているとか。
この経験も含めて,インターネットは非常時に有効ともてはやされ,積極的な活用が各地で試みられている。
我が神戸市も,郵政省の補助を得て,非常時に「避難所」となる神戸市立小・中・盲養護学校に,「次世代防災通信システム(以下「次世代システム」)」としてマルチメディア対応のパソコンを設置し,インターネット環境を整えることになった。
「次世代システム」とは
概略
阪神・淡路大震災では,被災地に関する迅速な情報の収集・伝達を可能とする通信システムの欠如が各方面から指摘された。
実際には,システムが存在しなかったのではなく,例えば,兵庫県は,通信衛星を利用した高度な非常時通信機能を備えていたと聞くし,後でも詳しく述べるが,神戸市の義務制学校には,文書通信機能を備えたコンピューターが全校に設置されていた。いずれも,物的・人的被害や運用面での問題で有効に活用しなかったのである。
これらの反省から,今後の災害時には,正確な情報を円滑に伝達する情報ネットワークの確保が必要とされた。併せて,情報活用能力の育成という教育にも利用することとなった。
注意が必要なのは,あくまでも実験という点である。運営
神戸市総合教育センター(以下「KEC」)で現在運営されているパソコン通信「神戸教育ネット(以下「KEN」)」を発展させることによって行う。各校のコンピューターのソフトウエアのアップデートや,軽微なメンテナンス等は,ホスト側がリモート操作で行う。
学校では,操作者(基本的には教頭が想定されている)とネットワーク管理者(仕事については後述)を選任する。
操作者への研修は,予定通り1996年度の夏季休業中に行われた。ネットワーク環境
マルチメディア対応コンピューターを各校に1台設置する。各校から「KEC」への接続は,既設の事務室に設置されている事務処理用端末機の電話回線をデジタル化する事によって対応する。具体的には,NTTのINSネット64が採用された。これにより回線の複線化と高速化が可能となる。「KEC」からホストコンピューター間は,全長53qに及ぶ光ファイバーで接続する。
ハードにはデジタルスチルカメラと,ビデオカメラも含まれている。
インターネットで行う作業は,電子メールとファイル転送,インターネットサーフィン(WWW−ワールド・ワイド・ウエブの利用)が予定されている。
ソフトは,基本ソフトのほかに数種類準備されており,単体での使用も可能となっている。運用
そもそもが,災害対策用ということであるから,平常から利用し,操作に熟知している必要があるので,基本的に毎日の操作が操作者には課せられる。計画段階では,
(1)電子メールを利用して,学校相互間,教育委員会と学校の連絡
(2)各種統計調査,統計処理への電子メールの応用
(3)インターネットに接続することで教育利用をはかる
(4)防災訓練等にも利用する
という作業を日常的に行うこととなっている。
そして,操作者とは別に,希望者全員にメールアカウント(インターネットに接続するための個人ID)を交付することになっていたが,現時点では,当分の間,各校2〜3名への交付ということに変更になっている。技術的な問題なのか,セキュリティーなどの問題なのかは,いまのところわからない。
10月に入って,ようやく運用開始が10月15日と決まった。ただし,当分は教頭のみが操作し,電子メールとWWWが使用可能で,電子メールは,神戸市内のみということである。ネットワーク管理者の仕事
ネットワーク管理者は,各校1名で,校長が選任する。操作者である教頭,あるいは校長自身が想定されているが,学校の事情等により他の希望者を選任してもよいことになっている。
神戸市の場合,電子計算機処理にかかるデータ保護管理規程で,学校でのデータ保護責任者は学校長と規定されているが,ネットワーク管理者の仕事に情報管理も含まれるのであれば,事務職員にとっての新たな「職指定」の方向も見出だせるかもしれないと希望し,了解を得たが,今のところ「次世代システム」運用上での一般的な「情報管理」は,校長の先の職務の範囲内に含まれ,変更の余地はなさそうである。
さて,ネットワーク管理者の仕事は「使用者がコンピューターを使用するにあたっての条件と環境を整える役割」とされている。
具体的には,ハードウエア管理,ソフトウエア管理,使用者管理,安全管理が仕事である。使用者管理には「ネチケット」(ネット上のモラル・エチケット)管理も含まれている。メールの内容がわからなければネチケットのチェックもできないと思うが,通常の啓蒙活動という範囲か。
重要な仕事の一つに,ネットワークの構成等についての情報の外部への漏洩を防ぐ,というものもある。
現時点では,ネットワーク管理者の仕事と事務職員との直接の関わりは,薄いようである。しかし,実際に運用が始まってみれば,事情も変化するかもしれない。「情報」の接点には事務職員がいるべきだと私は考えるので,機会があればぜひ,運用以後を報告したい。
事務職員と「次世代システム」
このような新規の事業には,直接の現場では賛否両論があるものである。
私は,個人的には大歓迎であるが,教育委員会に対し,設置場所は職員室であること,操作者は基本的に教頭であること,そしてこの2点の各校への周知徹底,は執拗に念を押した。それでも,なおかつ事務室に設置しようとする学校があったというし,「端末なら操作は事務職員」という学校もあったと聞く。
教職員の一人として,事務職員がこの機械に触れてインターネットを経験したり,電子メールを送受するのは,この情報化時代にあって貴重なことだと,私は思う。経験した上で,否定をするのも肯定するのも各人の自由である。
だから,まず経験ということで,操作希望者のサポート及び練習の場として,「KEN」の「会議室(パソコン通信を利用して意見の交換を行う仮想的な場所)」に「事務室通信」という部屋を設けてもらった。
しかし,肝心の「次世代システム」の稼働の遅れで,この会議室も開店休業状態である。
さて,私がこの「次世代システム」に興味を持ち,かつ「KEN」に会議室をオープンした理由は,「勤務時間内の職務の一環としての通信」がどのような性格のものになるのかを見極めたかったからである。
現在,この連載と平行して進められている「学事ML」の参加者も,よほど恵まれた環境にいるメンバー以外は,場所も機械も時間も仕事を離れて通信している。勤務時間外にまで,仕事のことをコンピューターを使って,熱心に話し合っているのである。
これを,勤務時間内に行うとしたら,私たちは,一体何を知りたいと思い,知らせたいと考えるのだろうか。
この連載の2回目に,私たちがコンピューターを使う理由を,作業負担を軽減するためのアシスト的利用から,コンピューター自体を直接的に学校経営の道具として利用する方向へと変化を促すべきではないかと問題提起をした。
この段階では,コンピューターは,単体で使用するものを前提にしていた。ネットワークされたコンピューターを,私たちは学校事務にどのように利用できるだろうか。あるいは,ネットワークされた学校事務とはどのようなものがイメージできるのだろうか。
神戸市の場合,すべての公立学校に「教育情報処理システム」用のコンピューターが設置されて10年近くになる。このコンピューターは,オンラインで教育委員会と結ばれており,現在はもっぱら財務処理に利用されているが,「文書管理システム(パソコン通信機能,以下「DOCS」)も当初から用意されており,市教委及び各校間で電子メールのやりとりができる。
導入された初期の頃には,私たちもこの「DOCS」の利用により,学校事務のネットワーク化を試行しようと,「点から線へ」のアイデアをいろいろ出し合ったが,文章の送受以上の具体的な成果は得ることはなかった。
そのほとんど忘れられたような「DOCS」が震災後に一時的に脚光を浴びた。2月20日から通常の学校間の文書交換が可能になるまでの間と言うことで,市教委からの文書の送付に使用されたのである。しかし,送り手の認識が明らかにFAX替わりという点とか,公文書扱いをするのかとか文書の受信操作は誰が行うのかと言ったような運用上の問題が明確ではなく,学校によっては混乱した。
これらの状況から,この「DOCS」が有効利用されなかった理由を,運用上の問題を除くと,「インタラクティブ(双方向性)」の欠如ではなかったかと仮定すると,ネットワークされたコンピューターの学校事務への利用のキーがここにあるように私には思える。 指示や伝達の手段としての利用では,大部分の人にとっては,ネットワークに対する姿勢が受動的・義務的になりがちであろう。交換日記のような無意味な情報の相互発信や電子井戸端会議では,インタラクティブであっても趣味の世界を越えない。仕事での利用では,ネットワークを通じて常に自由で自発的に,自分と職務の可能性を求める努力が不可欠だと思う。
全事研は,「開かれた学校事務」を標榜している。難解なテーマだが,私はこのテーマは,地域,保護者,児童・生徒,教職員,私たち自身と分けてキーワードを考えれば,比較的理解が容易であると考えている。その内,私たち自身のキーワードは「ノウハウの共有」ではないだろうか。私たちは,地域の事務研究会などの活動にも関わらず,事務職員の数だけの学校事務を作ってしまっているのではないか,とはしばしば指摘されることである。個性は個性として尊重しつつ,「ノウハウの共有」により学校事務全体としての信頼性を高めることにネットワークは活用されるべきだと思う。
阪神・淡路大震災とインターネット
冒頭にも記したように,インターネットで発信された震災の悲惨さは,大きな反響を巻き起こした。「次世代システム」も反響の一つと言えるだろう。
私自身,被災者として,また「避難所」運営に携わった一人として,この点を検証してみたい。パソコン通信とインターネットは,本来異なったものであるが,以下においては,パソコン通信で両者をまとめることにする。
私自身,思いも寄らないことにパソコン通信により安否を確認された一人である。電話や他の通信手段が閉ざされている中でのパソコン通信の威力は大きかった。私も,自身のコンピューター環境が整ってから,パソコン通信の地震関連の部分を見てみたが,その膨大なやりとりに圧倒された。そして,安否を教えてほしいという声に応えて,あの状況下で,丁寧に回答するひとがいることにどれほど励まされたことか。それにも増して,私のことを案じて,遠くから探してくれている人たちがいることを知った嬉しさは大きかった。パソコン通信の持つ「双方向性」の威力の賜である。私という個人にとっては,その威力は絶賛したいが,一般的な被災者にとってはどうであろうか。
確かにパソコン通信は多くの人に安堵をもたらした。生きる勇気も与えただろう。しかし,私はパソコン通信は結局,被災者の誰一人救えなかったのではないかと,あえて考える。パソコン通信は,膨大な情報を発信したかもしれないが,被災者たちが今日を生きていくための情報は,結局何も伝えられなかったのではないか。パソコン通信は,結局は膨大な「私信」のやりとりに過ぎなかったのではないか。
マスコミの取り上げ方による情報の偏在があのときは大きな問題となった。テレビで放映された避難所には,さばききれないほどの救援物資が届くのに,その隣の放映されなかった学校では,夜の弁当すらも不足がちだったあのときに,パソコン通信は,その「双方向性」を生かして,生活情報を被災者に届けられただろうか。あるいは,被災者自身の声を全世界に届けられただろうか。平面的な画像と文字をただ送り続けただけではないだろうか。
冒頭の神戸市広報課によるインターネットは発信後一月で100万人が利用したそうだが,そのうち国内からのアクセスはわずか16%だと言う。そして,この16万人の内何人が,被災者に直接届く「何か」を,発信しただろうか。あるいは,被災者の声を誤りなく聞き取ってくれただろうか。パソコン通信は,確かに全世界にその情報を運ぶことができたが,あのとき避難所を結ぶ線として,有効であっただろうか。結局は膨大な傍観者を生み出しただけではないのか,マスコミと同じように。
「次世代システム」の通常時の運用については,先述の通りであるが,非常時にどう活用することによって,被災者の生活に有用となるのかは,私には見えてこない。被災者であった私の最初の1週間を思い出すと,コンピューターの前に座ることができたとして,電気と電話が使えたとして,インターネット経由で「粉ミルクがすぐに欲しい」と発信したとして,私は誰からどのようにして粉ミルクを受け取ることができただろうか。
そもそも,「次世代システム」には,無停電装置などは配慮されていない。確かに今回の震災でも電力は最も早く回復したが,地震直後の混乱期には停電の可能性が高い。今回のように,学校での避難者の生活が長くなれば,パソコン通信の双方向性を生かすことのできる機会は増えるかもしれないが,本来,学校での避難所開設は1週間程度であるべきことを考えると,矛盾が生じる。
個人レベルならともかく,行政が運営するネットワークとなれば,プライバシー保護の問題も重要になってくるだろうから,被災状況の具体的な発信などにも,様々な規制が生じるだろう。初期状態での発信が比較的順調に行えたとして,各校から一斉に発信が開始されれば,その公共性,あるいは信憑性を誰がどうやって確認するのだろうか。
電波に乗せて,ものや人を運ぶことは当然できない。多すぎる情報も独りよがりの情報も,現場をよけいに混乱させただけであった。私は,震災後に情報の途絶を確かに指摘したが,それは,私が今生きているからである。時間との無慈悲な争いに生き残れなかった人々にとって必要だったものは,押し潰そうとする瓦礫から掘り出してくれる人手であり,自分を焼き焦がそうとしている火を消す水であったはずだ。
この瞬間をくぐり抜けてから,生き延びるための情報が欲しくなったのだ。
「次世代システム」が,単に行政にとっての情報収集の道具であった,ということのないように,私は切に願う。そして,そのために私たちも自らの経験を生かして積極的に参加していきたい。
おわりに
初めて「次世代システム」のことを耳にしたのは,昨年の12月であった。私には,非常時の運用のこともさることながら,このシステムを事務職員がどのように,自らの職務に利用できるのかに興味があった。機械はどんなに高価なものでも,高度なものでも,設置されることに価値があるわけではない。人間がその機械やシステムを有効に活用するところに真価がある。
ネットワークもそうであろう。その基本は,機械やシステムではなく,構成する人々の価値観だと言えると思う。私たちは,すでに地域の事務研究会や全事研といったようなネットワークを持っている。パソコン通信やインターネット等の新しいメディアでのネットワークは,包含する要素は旧来のものより圧倒的に多くなるかもしれないが,「双方向性」を忘れては成り立たないことは,全く同じだと思う。
私たちはコンピューターと会話するのではなく,コンピューターの向こうにいる人間とネットワークするのだということを意識し続ける必要がある。冒頭の神戸市の広報課員は,インターネットを通じて発信しながらも,避難所や被災者の状況を知るほどに「人と人の絆は,インターネットでは伝えられない」とどこかに書いていたけれど,私は,この実感を尊重しつつも,なおインターネットによるネットワークに夢を持っていたい。
なお,学事MLには「次世代システム」に関する参加者の意見が寄せられてるが,紙面の都合で割愛した。興味のある方は是非学事MLに参加して,あなたの意見を聞かせて欲しい。
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