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「神戸からの電子メイル」その後・・・・


☆8月15日にあたって


8月15日7時13分
 木村さんの新しいレポートに寄せて
    ===語り継ぐことの重要さ===
 今年もまた暑い8月がやってきました。今年は戦後50年という事で例年より多くの関連の行事が行われています。それは日本だけのことではありませんが、だんだんと風化していっているような気がしてなりせん。
 私は初めて広島の原爆資料館に行ったときの、あのショックともいうべき印象を今でも忘れることができません。成人してからいったのですが、そこに展示紹介されている事実は正直なとところ目を背けたくなるものばかりでありました。早くここから逃れたいという感情を踏みとどめるのに必死でした。
 また、沖縄に初めて行ったときの、沖縄の人々の話も忘れることができません。今でも目に残っている一つに、南部の激戦地跡に向かう道路の脇に転々と存在する空き家です。一家が全滅した空き家です。私は事情があって高校の先生に彼らの自家用車で案内してもらったのですが、彼ら二人が訥々と話す内容は、沖縄の暑さを忘れさせるくらいに、衝撃的な話が多くありました。もと都研の指導主事で今はある大学にいる方は「沖縄は誰にあっても戦争犠牲者が親類縁者にいる」と語っています。たぶん、現在も尚日本の多くの人々が、戦争という事実を抜きにしては自分史を語れないのではないでしょうか?
 私はこう考えています。いろいろな考えがあってしかるべきであろう。しかしながら事実を正確に伝える努力、少なくとも風化はともかくも事実をねじ曲げることのない努力、それはすべきであろうと。まためぐってきた暑い夏、原爆忌を迎えると私は毎年こうした感慨を持ちます。
 今こうしたかき始めで、木村さんの新しいレポートの感想を述べるのには訳があります。実はそのことが副題に掲げた「語り継ぐことの重要さ」に結びついているのです。『半年経過したとは言え,この地震に遭遇したすべての人々にとって,災害は経験ではなく現在進行中の体験です。』これは木村さんの言葉です。おそらく木村さんの一生は「現在進行中の体験」がづーっと続くのでしょう。おそらく今回の震災は木村さんをはじめとする被災者にとって、一生「現在進行中の体験」となることと思います。
 園田さんという広島の被爆者は、8月6日にあたり、「今日だけが特別の日ではなく私にとっては毎日が原爆の日です」とNHKのTVで述べています。まったくそうだと思う。
 本当に何もできなかった私たちは、しかしながら被災者の語る言葉に耳を傾けることは、最低はできます。事実を見聞きすることはできるのです。それから先は各人の領域です。木村さんは「避難所」にあたった職場の唯一の行政マンとして、まさに今回の阪神淡路地区大震災における「語り部」になったと思います。
 語り継いでいくことが困難な沢山の現実。戦争体験については、それは戦争を是としようとする力と風化という現象にさらされていきます。これからは確実にそう言う現実が木村さんにも訪れることでしょう。行政マンとしては、行政を批判することはタブーですし、また行政マンとして何をこれからなすべきかも問われましょう。でも決して「語り部」たることをやめないでいただければなぁと思います。
 さて、木村レポートのこれまでを見て、私が今得ている教訓を一口でいえば、は「神戸の現実を見据えるならば、学校事務職員としては、自立的に行動できる学校を構築するために努力をしなければならない。」ということです。
 既に皆様ご存じのように私はここ4年間というもの、校舎建築にかなりの力を注いできました。しかし思えば学校建築にあって、私はともすれば養護学校としての機能については力を入れてきました。また小中学校とちがい、地域の本校の卒業生やその家族の活動をバックアップするシステムに応じた学校を設計をお願いしてきましたが、避難所になるであろう現実は発想していませんでした。
 例えば、火災時のバックアップ用に非常用電源は発電器を確保していますが、それは火災報知のみに供給される電源であってそれも高々1時間程度の軽油しか確保されていません。配線も非常時のバックアップシステムにしかいっていません。これらは軽油の備蓄庫の設置と配線の一部変更を経れば一般用電源としての活用が計れますが、そうした考えを設計時には持つに至りませんでした。
 これは一例ですが、こうしたことを検討せずに私たちは学校を建ててしまいました。神戸の現在進行中の現実を、見聞しより現実的な対応の方向を見つめていく必要があるように思います。その結論が、自分たちの置かれるであろう状況を描けば、物心両面で自立的な学校の体制を念頭に置いて置かねばならないだろうと思います。粘土を買うのが先かプールの水を浄化して飲料水に出来るシステムを買うのが先かは議論せざるを得ませんが、議論をするなかで学校の置かれている状況を認識し、あるいは認識してもらい、よりより道筋を考えて行かねばならないと、木村さんの新レポートは教えていると、私は結論づけました。
 皆様のお考えはいかがでしょうか?

☆レポートの感想(その1)

「職場の同僚C氏」より「本川」宛
8月5日16時26分
 (この感想=その2も=は、パソコン通信のアマチュア無線版であるパケット通信で本川宛送られたもので以下Cとのやりとりは同様です。尚、Cにはかなり早い時期に初版を送っている。)
 学校は行政の末端ではないという印象を受けました。「地域との連携」などときれい事ではなく実に泥臭い、地を這うような取り組が神戸で展開されている様な気がします。宿直にしても必然から決まったのかおそらく反対もほとんどなかったのでしょうか。「復興」後に地域と学校の関係がどうなるのか興味のあるところです。
 現在の職場は同じ職員に対しての「優しさ」のようなものが見られますがはたして災害時にそのおもいを避難してきた人に向けられるのでしょうか・・・・ちょっと心配です。
 養護学校は卒業生や障害者の避難場所としての機能を求められているようですが、卒業生または障害者に対するケアはなにも災害時に限らず必要なわけで、青年学級やぎんなん会など様々な活動にスムーズに手をさしのべられる気持ちがあればきっといざというとき活動できると思います。すべての職員がこの気持ちを持つ必要があると思います。(注:青年学級=杉並区の知的障害者をメンバーとする社会教育活動のひとつ。ぎんなん会=本校の在校生卒業生及びその保護者で構成する自主的活動団体。)
 非常食などハード面の不十分さは上記立場に立って行政から当然のこととして要求していくべきでしょう。しかし行政はいかんせ腰が重い。平行して自己防衛も必要だと思います。そもそもささやかな一食の非常食ですらわたしの職場での提案は先延ばしされ、やっと6月実施になったぐらいですから、職場もミニ行政化している。行政の立ち後れをなげくより何かできそうなことを実行していく必要を感じます。
 一人一人がどれだけ柔軟に、ある物のなかで考えだせるか、いわゆる「工夫する」気持ちが日頃から身につけておくことも災害が起こったときには大切だとも思いました。
 最後にパソコン通信は有効だと改めて感じました。何らかの通信手段の確保は是非必要ですね。ネットを区が開けば非常時はもちろんですが普段の出張も減るんじゃないかと思います。無線も迅速に対応できた部分もあったようですがレピーターへの妨害など一部あり残念ですがマナー向上、非常通信の確保なども必要です。
 以上前半部分の感想を不十分ながら送ります。

☆感想有り難うございます

「本川」より「職場の同僚C氏」宛
8月5日17時08分
 私がここで強調したかったことをさすが見抜いています。有り難うございます。
 神戸での教訓は、(第一波に生き残ればの話しですが)「職場では自立的に行動するしかない」ということだと思います。教育のフィールドだけではどうしょうもないということです。そしてそれは神戸よりもある意味でもっと悲惨な(限定された地域ではない東海沖地震)状況となって襲って来るという認識を持っておく必要があるということでしょう。
 彼が述べている「防災指令3号」のような状態は杉並・東京を問わず差はあれ同じ様な状況でしょう。「行政が何かしてくれるのが当たり前!」という有権者意識に留まっている限り(議員を選んでいるのは他ならぬ我々なのだから)、有効な対応は出てこないでしょう。それは行政への働きかけにおいても同様です。
 例えば我が職場にしたって、訓練はしているものの一番肝心の部分「電話が使えるのか?」という点については長く担当者に指摘しているにも関わらず、いっこうに検討がされていません。(私自身はNTTに優先の取りか使いは出来ないかと聞いたことがあるが。)

☆レポートの感想(その2)

「職場の同僚C氏」より「本川」宛
8月5日21時12分
 感想の続きです。
 何というプロ意識!と最初思いました。すごいなぁと思うのは自身の安全・家族の安全が確認できたあと職場に向かうという事実です。第一波をかろうじてしのぎ?、その後家庭にとどまらず職場に向かう気心というか、そういった事実はいったいなんだろうと思います。
 プロ意識とかではなくきっと人間くさいそこで何かできるんではないか・・・・といった思いなのでしょうか? その辺はちょっと見えないところですがどうなんでしょうね。
 計算なんかなくてごく自然に職場に向かったのでしょう・・・・・か・・・たぶん・・  学校は行政の末端ではないという印象を受けました。

☆何かではないと思います

「本川」より「職場の同僚C氏」宛
8月6日0時1分
 何かではないと思います。
 たぶん、あなたにしても家の女房にしてもにしても、そして私にしても、木村さんと同じ立場ならそうしたのではないでしょうか?私もかかる状況になれば、おそらく泊まりっきりで指揮まがいのことをすると思う。
 職場とか、仕事とか、そういった意識は、今は木村氏にもあるかも知れませんが、そんな意識はなしに、おそらく本能的に動いていたのでしょう。人間として当然そうすべきという様に。彼に聞いてはいませんが、察するに19〜20には職場に行っていたのではないかと思います。
 現在の職場にいる限り、実質的に近くて、活動できるのは私だと、かくいう私も覚悟はとおにしています。だからこそ、神戸の実態に関心があるのです。

☆「神戸からの電子メイル」見ました

「木村氏」より「本川」宛
8月17日9時33分
 メールありがとうございました。まとめて読むと,私の部分はいささか感情的で幼稚な気もしますが,貴重な記録として大事に保管しておこうと思います。
 一つおたずねしたいのですが,学校事務誌の原稿なのですが,私への依頼は「半年経過した時点での印象,感想」といったものだった気がするのですが,「91ニヨセテ(初版の電子メイル版にわたしがつけた題名)」のどのあたりが学校事務誌に掲載されるのでしょうか。
 さて,夏休みも折り返し点を大分過ぎました。せっかく旅行にも出張にも出かけずに学校に出てきているのだから,あれもしよう,これもしようと思っていましたのが,ほとんど手つかずです。宿題の残った子供みたいに焦っています。言い訳をすれば,それほどに地震以降の事務処理が大変だったのです。夏休みまでは,とにかく報告事項などのつじつまをあわせるのに精一杯で,この期間にようやく根拠書類等の整備をしているという有様で,これに時間をとられています。正直に言うならば,「遊ぶ」(出張も遊びみたいなモノだから)予定があればこそ,仕事にも励みが出ますが,「時間はあるんだから」とぐずぐずしていると,結局は何もできない,というところです。
 明日からはがんばろう。

☆早とちりでごめんなさい

「本川」より「木村氏」宛
8月21日10時5分
早とちりでごめんなさい
 「神戸からの電子メイル(初版)」の15頁後半の丹治さんの言葉を私は、木村さんのあのメイルがそのまま載るのだろうと勝手に解釈してしまいました。早とちりでごめんなさい。ご迷惑をおかけしました。
 今日丹治さんにそこの所を聞いたら、神戸の事務職員の奮戦記をいくつか掲載するのではないか、という返事で全く私の勝手な解釈でありましたことが、改めて確認されました。
 本当に、いつもながらいい加減ですみません。
 新学期の9月1日(=防災の日)にむけて、自身の戒めにもと思い、「神戸からの電子メイル(初版)」を再構成しました。勝手ついでで申し訳有りませんが、済美養護学校の職員を中心に配布させていただきます。この件お許しあれ。
 さて、「避難所」生活を送っている方々はその後どうされているのでしょうか?東京でも、それはひどいのではないかということで、署名がまわっています。(実はこの文章は先週に書いたもので、今日の毎日新聞によれば、自炊設備のある「待機所」が22カ所学校以外に設置されてそちらへ移るようなことがかかれたいる。)  本当にすみませんでした。

☆「神戸からの電子メイル」は素晴らしい!

「木村氏」より「本川」宛
8月22日8時6分
本川様
 メールありがとうございました。私自身が学校事務誌に確認すればよかったのですが,学事出版の山口さんが電話してきて,やあやあ今回は大変でしたね,ついては6ヶ月後の様子をお書きいただきたいとの原稿依頼だったのですが,私自身プライベートなことなのか,オフィシャルなことなのか,誰と誰がどのように書くのか等,何も聞かないでOKしたものですから,少し気になって本川さんにお聞きしてしまいました。そして,「神戸からの電子メイル」は,大変すばらしい構成で,本川さんの編集力に感動していましたので,これを学校事務誌に載せればいいじゃないかと(木村は匿名で)思ったこともあり,おたずねしました。本当に,これを載せることは出来ないのでしょうか。このタイトルと構成は素晴らしい。私の駄文が見違えるほどです。是非是非一考のほど(実現の曉には木村は匿名で)を。
 もしそれが叶わぬならば,私自身これを何かに使わせていただこうかと思います。埋もれさせるには実に惜しい。何とか実現の道はないものなのでしょうか。
 さて,待機所の件ですが,ここまでくるともはや被災者も荷物扱いというべきでしょうか。厄介者扱いというのでしょうか。同じ被災者として私は虚しい。実のところ,避難所(学校)に残る被災者や公園等でテント生活を継続する避難者は多いと思います。先日来神戸市役所前には「殺さんといてえ(殺さないでの関西弁)」と書いた横断幕を掲げて,被災者の一部が座り込みを続けています。私の大好きな「なにわことば」がこんな所で強調的に使われるのは,悲しいことです。本校も昨朝の時点で多分かなりの数の人が残っているでしょう。食事の配給がなくなっていますが,本校には自炊の設備はありません。全市を見渡せば,確かに中には「ごねどく」をねらっている人もいるでしょう。積極的ではないにしても,ここ(避難所)にいる方が得だ,と考えている人たちも少なからず居るかもしれません。しかし,大部分の人たちは,動きたくても動けないのだと私は信じています。私自身,職を失い,家を失い,その上住み慣れた地域までも失うかもしれないと思えば,動きたくないかもしれない。
 東京もそうかもしれませんが,神戸は先月22日以来雨らしい雨が降らず,猛暑の連日連夜です。今年は旅行にも行けないので「居ながらにして南国気分」と負け惜しみを言っていますが,夏休みもあとわずか。学校に張り付くように出勤をしましたが,できる仕事はわずかなものですねえ。これで2学期にはwindowsの研修ができるかしらと思いつつコンピューターに向かう木村でした。
 「神戸からの電子メイル」刊行できませんかねえ。

☆つづき・・・

「本川」より「木村氏」宛
8月23日0時24分
 刊行できるような力はありませんが・・・
 「神戸からの電子メイル」を本当は成文化出来ると良いのでしょうが、残念ながら本川にはその様な力はありません。いろいろなところに、此の内容をばらまいているのが精一杯です。でも、読んだ人は口々に「木村さん」の文章のリアルさに驚いています。
 今「神戸からの電子メイル」の増強版を作っています。

☆提案

「本川」より「木村氏」宛
9月5日9時03分
 「刊行」提案ですが、当てなどはっきり言って無いことはメイルした通りです。ただふと思ったことがありますので、思いつきでメイルします。
 それは、インターネットのホームページを持つということです。といっても、現状ではインターネットの何たるかも皆目分かっていないし、また接続のためのサービス提供業者(プロバイダというのでしょうか)に入っているわけでもないし、かなり見通しの無い提案なのですが。
 DOS/Vマガジンの最新号によれば、プロバイダによっては5〜7M程度のホームページを持てるようです。こんな量じゃ全く問題にならないことは分かっていますが、一つの手だと思えてきたのです。
 だいたいホームページそのものはおろか、インターネットという実態へのアプローチもしていない現状でこの様な提案は無謀にも思えますが、NIFTYやPC−VANからもアクセス可能ですから従前のアクセスポイントからも、そう多額の費用を必要とせず閲覧可能ですし。
 何でも私の先を言っている木村さんですから、すでにインターネットは経験済のことと思います。ご意見をお聞かせ下さい。

☆インターネットからの初めてのお便り

「木村氏」より「本川」宛
9月6日9時13分
Date: Wed, 6 Sep 1995 09:13:38 +0900
From: audin@ari.bekkoame.or.jp
To: pde02271@niftyserve.or.jp
本川様
 すでに報道等でご存じと思いますが,2学期が始まっても神戸市内で依然学校に避難している被災者数は1000名を越えるそうです。本校では,8月29日で10名,31日で8名,現在7名2家族が残っています。本校は非常にラッキーな経緯であったと思います。被災者とのトラブルもなかったし,教職員との信頼関係も学校との距離も適度に保たれていたようですし,何よりも校区の状況の大変さの割には,被災者の皆さんの自立(そう言い切っていいのかどうか大いに疑問ではありますが)もスムーズに行われたようです。周辺の学校では,100余名が残留している所もあり,ここなどは早くから運営自体に大きな困難があったように聞いています。また,これは非公開な性格の話ですが,ある学校では避難所閉鎖が決定した夏休みに入った頃から,むしろわずかですが被災者が増加したケースもあるようです。
 さて,刊行の件ですがご提案ありがとうございました。そうできるといいなと思いますが,いかんせん知識の絶対量に不足があります。本川さんの先を行くなどと言われては,穴があると入りたい(かなりな大きさが必要ですが)ぐらいに恥ずかしい。今年は,皮肉なことに旅費が余りそう(授業時間の遅れを取り戻すのに教員は必死で,遠方への研修などとんでもないという雰囲気。何せ,終業式・始業式の後にも授業をするぐらいに大変)なので,1月ぐらいにでも本川さんのところに,私が本川さんを尊敬する2つの点,コンピューターと学校事務,についてお教えを請いにお伺いしようと思っていましたのに。
 この地震でパソコン通信については,いろいろと考え直す部分が多くありました。世間でも随分とその有用性について注目されたようです。しかし,被災者の立場からすれば情報を受け取ることすら困難な状況下では,パソコン通信の双方向性が活かせなかったような気もします。とは,言うものの,自分あてのメールを見たときの,あの時の嬉しさは今でも新鮮です。
 神戸市も「インターネットを通じて情報を云々」というのがかなり早い時点(1月中?)から広報されていました。その時は,「また宣伝上手の神戸市が派手なことをやりたがっている」という程度にしか思わなかったのですが,意識の底ではinternetが随分と気になっていました。ようやく8月末に契約をしてみましたが,チンプンカンプンです。モザイクやメールやゴファー等はなるほど,ソフトの指示通りにすればアクセスは簡単です。と言っても,聞く人もなくセットアップにはほとんど半日を費やしました。大した知識も必要なくあっと言う間にPLAYBOYやらNASAだかに接続できるのはビックリです。しかし,だから,何ができるのか,必要な情報をどうやって取り出すのか全くわかりません。ましてやホームページなどは,「将来に向かって前向きに検討する今後の課題」と言うやつです。わからないから本川さんに聞こうと思っていたのに!
 と言うわけで,これがE-mail を使う初めての文章です。うまく本川さんに届くといいのですが。
 取り急ぎ,乱文乱送御免
 9月6日
                     木村信哉

☆すごいなぁ

「本川」より「木村氏」宛
9月9日17時35分
 木村さんはいつも私の数歩先を歩んでいる人なんだなぁって思いました。
 インターネットも半分は想像していたのですが、もはやお始めになっているとは!想像が余りにもそのままだったので、愕きの限りです。
 このぶんでは、もうホームページの作成も企画中なのではありませんか?そんな気がしています。こちらは、昨日からずっと(二日酔いを理由に金曜日は早めに帰宅して)Win95のインストールを試みていたのですが、ついに断念してWin95をアンリリースしました。いまはWin3.1での運用です。
 一太郎がバージョンアップしたのに伴ってインターネットツールが添付されてきたので、それを介してベッコウアメへアクセスしようと試みたのが今回のメールです。これからの情報発信はやはりインターネットを通じてなのでしょうか?全事研などもインターネット経由なら(文部省が言うような機種偏重ならぬVAN業者偏重のそしりを受けることなく)情報を自由に発信できるのではないでしょうか?
 それはそうとして、bekkoameを選択したのはどうしてですか?私も比較的に安いなぁとは思っており、インターネットを始めるなら選択肢の一つと考えていましたが。(神戸にアクセスポイントがあるのが強みかな?)
 まずは、メイルのお礼と、無事についたご報告まで。

☆私宛のメイルが来た!

「木村氏」より「本川」宛
9月11日14時23分/16時22分
本川様
 internetでの初めてのメールありがとうございました。つい今し方,お返事のメールをお送りしたつもりなのですが,操作ミスで多分届いていないと思います。おまけに,テキストファイルがどこにもセーブされていないようなので,改めて記入し直しです。
 internetへの加入は必要に迫られたたぐいのものでは全くなく,単なる思いつきです。ただ,前回も書きましたように,地震の折りの報道で潜在意識下では随分と気にしていたようです。しかし,確かにソフトを使えば,いとも簡単にあちこちの情報をつまみ食いはできるようですが,その氾濫する情報を,どうするのかは自分で考えなければなりませんし,何よりも,一体自分に必要な情報が何であるのかを自覚するところから始めなければならないようです。そして,英語とね。
 個人からの情報の発信もさらに重要になってくるのでしょうね。いつまでもROMやDOMでは,ネットワーク社会では何となく後ろめたい気がします。とは言っても,ホームページのことなどは何も知らないままに契約をしました。契約後にあれこれと本を読んでいる始末で,個人がホームページを持てるのを知ったのも契約後です。ハイパーテキストの意味を知ったのもそうです。
 そもそも,internetの概念も実際にアクセスするようになってからわかったほどで,あわててniftyのFINETを読みまくっています。
 本川さんの言われるように,全事研はホームページを持つと面白いでしょう。「本川さんなら簡単にホームページを作れるから」と丹治さんをそそのかしてみましょうか?(これは,面白い試みかも)
 niftyの教育フォーラムを覗いてみましたが,ほとんど「授業技術」の交換か無意味な自己紹介のようで,新鮮味を感じませんでした。教職員・保護者・地域を含めた「教育環境」を話し合える場が欲しいものです。それとも私がそういうフォーラムを知らないだけなのでしょうか。誰もが情報を発信し,誰もが受け取ることができるというのは教育というテーマにはふさわしいと思います。
 さて,まじめなところinternetを真剣に考え始めたのは,テレホーダイの予告からです。月額固定料金(1800円,うんビール3本分だ)なら,手が届くと思いました。当然テレホーダイの場合は適用範囲が市内地域となりますので,アクセスポイントが神戸にある必要がありました。それと,プロバイダーも従量制では,nifty がそうであるように気分的に落ち着かないだろうと思い,こちらも固定料金システム制ということでbekkoameにしました。くどいようですが, internetの何たるかに関してはほとんど無知で,プロバイダーやソフトに関して詳しく知る由もありませんでした。後で知りましたが,FINETではbekkoame+internet officeという取り合わせは,評価は低いようです。
 今は,住環境が不自由なので,機器類をすべて学校において,端末機の線をちょっと横取りしてアクセスしています。←これは内緒です。毎月私用電話料を払ってはいますが職務専念義務に抵触するかも...
 一太郎6.3ですか,いいなあ。家にはまだ届きません。win95ですか,いいなあ。早く欲しいなあ。でも本川さんがインストールに苦労するぐらいだから,私にできるかな。前にも書きましたが,internetにログインするのに,まるまる半日(以上)かかってしまいました。何物も読めばわかると思っていた自信が,最近はどんどん崩れていくのが悲しいことです。tcp/ipだのpppだのFTPだのWWWだのIPアドレス,サーバー,ドメイン,ダイヤルIP,ここは日本じゃなかったの,どこの国の言葉なの,とお手上げ状態です。でも,これからは子供も使うようになるのですから,正しい大人としては,恥をしのんで目をしょぼつかせながらマニュアルと格闘しています。
 5日前まで98では通信速度は19.2Kまでとは知らなんだ,おまけに28.8Kのモデムを買ってしまった木村でした。

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