7月16日(木) いよいよ明日,最後の日


 何か1日きもちが悪いような気がしていた。看護婦さんが、注射する前から気持ち悪いっていう人がいる、って話してたけどそれかな、と思って則に話したら、一蹴された。経験無い人が恐怖心でそうなることはあっても既に何度も経験している君がそんな状態になるはずはないと言う。でも、分かっているからこそ拒否する気持ちが強くてそうなるってこともあるのじゃないかな。吐き気止めの薬も、則は飲まなくて良いというけど、私はやはり恐怖心から飲んだ。あの気持ちの悪さ、やっぱり嫌だよ。

 読売の朝刊で、今乳癌シリーズをしているのだが、そこに2例でていたのが何れも術後4年で再発していた。そのうちの1例はK医師が関わっている。そうか、5年再発しなかったら治ったと見なして良いということはこういうことなのだな。4年で再発か。でも、そこまで生きていたとしたら、母よりも長生きしたことになるのだな。とりあえずは母の寿命を自分の寿命として頑張ろう。その後はおまけの人生だ。

 運悪く、もし再発したら、仕事止めるよ、と則に言った。また則が側にいるかどうかで治療法も考えるよとも言った。つまり、則がいるなら何とか生きようと頑張るけど、既にいないようだったら、もう何もしないと言うこと。ホスピスにでも入る。

 今日も1日図書館。そこで川上宗薫の自分の癌体験記を2冊読んだ。最後のは遺稿となったもので「死にたくない」という本。最後に彼は心霊治療を受けた。おさすりさん(?)というのをもらって千回さするのだそうだ。文化人でも最後は結局のところそうなるのかと愕然とした。(そういえば父も末期にはこれを飲めば治ると言われて、お釈迦様の描いてある小さな紙を飲んでいたっけ。)しかも彼は、60を過ぎてもなお血気盛んというか女体を求めていたのに、末期近くになると、癌の痛みが無くなるのならペニスを摂られても良いとまで書いていた。最期にはそれ程になるのだなと、これまた恐怖に近いものを覚えた。


則裕の記録

 夏季休業まで、仕事はあたふたと過ぎていく。私たち事務屋には一見無関係の夏季休業だが、お客さんの教員がいなくなるので、双方その為に今のうちに仕上げたいものがいくつかあるからだ。おまけに今日は事務室は私一人だったので、結構振り回された。

 さて抗癌剤を続けている限り癌にはならないと言うのだろうか、抗癌剤が終わり開放感を味わえるという感じではない、今日の順さんだ。

 寿命といえば、我が血筋の因縁は、母方の祖母77才(誕生日に死んだ)、父母とも76才で、これが私の知っている直系の兄弟以外の年上の血筋の人の全て。だから、私もなんとなく、77才までが限度と思っている。というか、76才まではいきられると思って、77才の誕生日までが人生と、そう人生設計している。

 乳癌は他の癌の3年と違って、再発か否かのラインは、5年で決めている。つまりは、4年くらいでも再発する可能性はあるということなのだろう。これから5年間、表面的にはニコニコしていても、この恐怖と順さんは毎日向き合って生活するのだ。昨年夏に病気をしたときは、私は激しいおう吐と下痢で、死を考えるというような余裕はなかったが、治れば再発はあり得なかったので、こうした長い間の恐怖とは戦わないで済んでいるので、この感覚は想像を超えている。何れにせよ、5年間は私の責任。それまでは、76−77才寿命説の私は、たぶん生きているだろうから。

 吐き気止めを飲まなくて良いといったのは、患者同士の会話を聞いたからだ。それは、吐き気止めを飲むと便秘になるという説だ。お腹にものがたまるから吐き気がよけい持続するのではないかという、私なりの考えで言ったことだ。