5月25日(月) 退院1日目。

 則を送り出さなきゃいけないので寝坊は出来ないぞ、と思っていたが、そんな心配など不用、病院の時と同じく4時半には目覚めてしまった。外はすごい雨。嵐のような音がしている。朝食は久しぶりに則が作ってくれた物を食べたが、量的にはいつもの半分くらい。まだ胸のあたりがすっきりしない。本当に気分が悪いのか、気の持ちようのせいなのか、今のところ自分にも分からない。

 7時半に則を送り出してからしばらく休養。8時過ぎたので学校に電話をした。次いでクラスの委員さんにも電話。学校の様子を聞く。嘱託の方が一応担任として朝から帰りまで世話をするということになったこと、時間講師が理科・社会・体育を教えてくれること、道徳は教頭が教えることになったとのことだ。土曜日のことはどうなったのだろうと思ったが、聞かなかった。今のところ気にしてもどうしようもないのだが、やはり気にはなる。が、くよくよするのが一番いけないことには違いないのだから、あまり考えないことにしよう。

 卒業記念の庭の皐が満開でとてもきれいだ。出かけるときにはほんの少ししかさいていなかったのに、それだけの日にちがたったのだなあ。

 今日と明日は家にいられる日なので、何をしようかと考えたが、ほかにやる気のもならないのでこれをやっている。こうしてコンピュータに向かうことだけは嫌にならず、というより結構楽しんでやっている。今のところ唯一、進んで向かえることなのだ。

 ちょっと横になったら1時間ほど眠ってしまった。こんな事をしているとまた夜が眠れないとは思うが、いまは体のしたいようにしてあげようと思う。
 昼になって、ドーナッツが食べたいと思ったが、油ものはあまり好ましくないとの本の1行によってあきらめた。が、何か食べないといけないので、とにかく買い物に行くことにした。久しぶりだったのでたくさん買い込んできた。が、まだ右手で重い荷物を持つのは不安なので、いつもよりは少なかったが。途中、いつもの100円ショップに立ち寄ったら、「あら、まあ髪を切ったんですね。」ということで少し話をしてきた。不思議なことに気持ちが少しすっきりした。何も知らない人とこうして会話をするのも良いものだった。

 昼食は、あまり食欲がないのでコーンフレークにした。いまは、タンパク質をたくさんとることも必要ということからするとやや少なすぎるが、量的には丁度良かった。ほかにフルーツの盛り合わせも食べた。

 そのあと、直ぐに横にならないためには、パソコンに向かうのが一番と思って、昔の職場のOB会の出欠と一言書いてある返事を打ち込んだ。(我が家は17年間もこの万年幹事をやっている。)1時間半ほどかかってしまったので、右手が痛い。ちょっと無理してしまったようなので、ここで終わり。静かに休んで則の帰りを待とう。

 夕方、もう一度買い物に行く。玉子の安売りをしていたので2パックも買う。野菜類は明日の安売りで買うことにしよう。則からもう帰るとの電話があったので、下でのんびり待つ。

 夕食はそれなりに消化。その後は本を読んだりテレビを見たりしながら平穏に過ごす。 

本日の行動記録
04:30 目覚め
05:30 検温36,3度
06:00 朝食
07:30 則を送り出す。外はいまにも降り出しそうな天気だが、とりあえずいまは降っていないので自転車で強行。帰りには雨だとの予想。 
08:15 学校へ電話、次いでクラス委員のTさんにも電話。
09:00 寝る
10:30 眠りから覚める
11:00 買い物に行く
12:00 買い物から帰る
12:10 昼食(コーンフレーク、フルーツ盛り合わせ)
01:30 椋・原稿うち
03:00 検温36,7度
04:00 赤十字会費届けに行く
05:00 買い物に行く。
06:10 則が帰る。即夕食。
09:00 布団にはいる。


則裕の記録

 今日は久しぶりに通して自転車で職場に行く。中野坂上のビルの工事が進んだなぁと思うほかは、都会の殺風景な景色の変化はない。仕事は自分の仕事は出来ずに、指示ばかり。でも指示しないと、嘱託などは頼みもしない仕事をして、あとで絶対にトラブルを起こすことになるので、あまり任せるわけにも行かない。

 午後は指導主事等の学校訪問。メインは指導室長の来校だったが、授業は見たものの、肝心の研究協議会は、緊急の教育委員会とかで肩すかし。どういうわけか、事務の自分まで協議会に付き合わされる。栄養士がいるので、強く断るのもと思い、出たものの殆ど寝ていた。教師たちが気色ばんで説明しているのがおかしい。彼らに査定の力があるわけでもないのに。

 でもって、その指導主事を囲む酒席のせいで、教員は早々帰り、結局病み上がりのかみさんを残している私が、最終下校者になる。事情があって、校舎が二つあり、それぞれに警備員がいるので、それらに指示をして帰る。まったくもって、学校訪問など迷惑な話だ。皇室が巡行すると、その町はきれいになると言うが、今日だけは学校もきれいだった。よそ行きの姿を見て、そして一方では指導主事は誉めることしかしなくて、こうしたぬるま湯的な状況で教育が行われていることは、もっと改善されるべきだろう。だいたい、30〜40の指導主事の言うことを50代の校長が聞く耳を持つわけがない。だから、批判的なことは言えない。切磋琢磨は教育界にはないのだ。子どもたちが礼儀正しいとか言うが、それはそれで今日大変なことなのだが、個を大切にした授業というのならば、どう大切にするのかが具体的事例の中で語られなければならないはずなのだが。授業の中身が語られないで、教育論は展開できない。

 まぁそう言う一日を終えて、主婦となった順さんの待つ家に帰った。もっとも私の夜の食事は、軽いものなので、彼女の手を煩わすことはないのだが。帰ると比較的元気なので、安心した。

 補足だが、皐(さつき)は、この春に順さんは卒業生を送り出した。彼女の勤務している○○○区では卒業記念に樹木を卒業生に配っている。だいたい担任分くらいの余裕を持って配布されるので、それを持ち帰ったもの。写真だとよく分からないかも知れないが、植木鉢は昔使っていた臼です。